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東海道53次 初日(日本橋~戸塚宿)

2015年5月17日

今から20年以上前の1994年3月6日(日)午前8時 晴れ

19歳の私は、学校の同期3人で東京・日本橋に立っていました。広島が実家の男からは、実家から送られてきたみかんを餞別にいただき、私はもう一人とともに京都・三条大橋に向けて歩き出しました。

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「幕末の志士など、歴史上の偉人が歩いた道を、俺も歩きたい」

とある昼さがり、隣を歩いているその男は唐突にその言葉を言いました。私は、行く先々の名物でもいただきながら、ノンビリ徒歩の旅もいいかも、と気楽に考えて彼についていくことにしました。これが、東海道53次計画の始まりでした。

旧東海道は神奈川宿、今の京浜急行線の神奈川駅までは第一京浜(国道15号線)と何度か交差しながら、昔の海岸線付近を通っています。歩いてみると、今でははるか沖の方まで、埋め立てられてたくさんの家や工場が立ち並んでいるのが良くわかります。

さて旅は、意気揚々とはじまりました。品川宿を抜けて、一気に六郷土手へ。ここでおにぎりを食べながら昼休憩を取り、多摩川を渡り神奈川県へ。国道15号線からそれて、川崎宿の旧街道へ入りました。

幕末に生麦事件のあったキリンのビール工場脇を通り過ぎた頃、14時を回るあたりから、口数が減ってきたのを覚えています。歩き始めから6時間、少し疲れと飽きが出てきていました。

国道15号線からそれて、神奈川宿の旧街道筋へ。ここには坂本龍馬の妻、おりょうゆかりの老舗料亭「田中家」があります。ですが学生の身分のため、ただ横を通り過ぎるだけでした。

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17時をまわり少し暗くなってきた頃、いまの相鉄線・天王町駅にある松原商店街あたりで道に迷い、疲れが一層増した体で保土ヶ谷宿・本陣前を通過しました。このあたりから、若さに任せてぶっ通しで歩くのをやめて、50分歩いて、10分休憩する「60分サイクル」にしました。

それから、江戸時代に徳川家が狩りをした狩場を抜けて、箱根駅伝でも有名な国道1号線の権太坂を上ります。ほんとうは旧東海道の権太坂を通りたかったのですが、暗くて良くわからなかったことと疲れから、わかりやすい大通りをショートカットしました。

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日本橋から14時間経った22時、戸塚のダイエーに着きました。いまもあるフォルクスというファミレスで夕食をいただき、その日はダイエーの駐車場の軒下を借りて、野宿をすることにしました。

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