住まい=家の3つの価値(機能) 使用価値 資産価値 安全性
2021年1月19日
2021年1月19日
あなたは住まいに対して何を求めていますか?安らぎでしょうか?それともくつろげる快適性かもしれませんね。またはスーパーやコンビニが近いなどの利便性を重視していることもあるでしょう。ここでは、住まいというものが持つ価値や機能について検証してみたいと思います。
大きく分けると住まいには以下3つの価値や機能があります。それは「使用価値」「資産価値」そして「安全性」です。
1. 使用価値
これは住んでいる人が感じることができる価値全てです。この価値は極めて主観的であり、絶対評価で成り立っています。住んでいるあなた自身が日常生活で感じられることは、すべてこの使用価値として表現できます。
ですので、住んでいない他者にとっては、同様に価値として感じられるものもあれば、何ら価値として感じられない項目もあるということです。たとえばあなたが近所に大きな公園があることを嬉しく思い、価値として感じていたとしても、公園に興味がない人にとっては何ら価値を感じないこともあります。
それどころか、公園に集まってくる人の声がうるさいと感じる場合、公園が近いことは価値どころか欠点にもなり得るということです。つまり使用価値というのは万人に通用するものでは無く、極めて属人的な、住んでいる人だけが感じている価値といえます。
2. 資産価値
より多くの人が「この家を買いたい」と思うほど物件価格は上昇します。逆に何かが起こって売却したいという人が増えたり、買いたい人が減った場合は物件価格は下降します。あらゆるモノの価格は需要=買いたい人と供給=売りたい人の数のバランスで決まるので、不動産も例外ではありません。
よく物件価格と資産価値を混同する人がいますが、これらはまったく似て非なるものです。というのも物件価格は上がりもすれば下がりもするものですし、資産価値というのは物件そのものが持つ普遍的な価値を指します。
不動産屋で「この物件は価格が上がっているから資産価値が高いですよ。」と言われることがあるようですが、以前は人気で価格が上がっていましたが現在は暴落して売れず、見る影もない物件も不動産市場はたいへん多く流通しているのです。「価格が上がっているから資産価値がある」は間違った表現と言えます。
商品においてなんでもそうですが、人気というのは長い時間軸で見るとほとんどが長くは続かず、一過性のものです。流行という言葉に置き換えることもできます。こうした流行が不動産市場においても過去から連綿と起こされて、大量に販売されてきました。
ある時は郊外の庭付き一戸建て、ある時は湾岸部や川沿いのタワマンなど、いわゆるブームと呼ばれる現象が起きたものは、それが廃れる可能性があります。ではなぜ一時的に価格が上昇したのに、その後は下落に転じて最悪の場合は売却すらできなくなってしまうのでしょうか?
それはもともと、こういった物件というのが、そのもの自体に本質的な価値=資産価値が無かったからといえます。高度経済成長期を経て、日本人の意思決定に大きな変化が起きたと言われています。それはテレビが普及し、CMや広告などの宣伝によって「欲しい」と思わされたものを買うようになった点です。
それまで、物を買う時には何が欲しいかをじっくり吟味したり、実際に商品を見比べて「これは自分にとって本当に必要なモノか」を見極めて買う買わないを決めていました。それがテレビが普及しだすと、映像の刺激もあいまって自分にとって本当に必要かどうかよりも「みんなも買うから、自分も買う」ようになります。
昨日より今日、今日よりも明日が豊かになると信じられた時代、それが高度経済成長期でした。戦後の焼け野原の何もない状態から、たった10~20年で家庭にはテレビや洗濯機、そして冷蔵庫などあらゆる電化製品が普及し、車も持つようになったので駐車場付きの広い郊外の戸建ブームが起きたのです。
ともかく、広告宣伝などのあらゆる手段で人々の購買欲求を刺激続けた結果、日本人の多くは「自分が必要とするもの」を買うのではなく、「人から欲しいと思わされたもの」をあまり深く考えずに買うようになり、あちこちで行列が出来たり「みんなが買っている」ものを欲しいと思い競い合って買うようになりました。
こうした「自分はこういう生き方をしていくから、それに必要なモノを買う」という自分軸が無く生きている多くの人々が購入するモノというのは、ブームが起きて一時的に価格が急上昇しますが、飽きると下落するということになります。「人が欲しいものが欲しく、人が欲しく無いものは欲しくない」ためです。
不動産もまったく同じことが言えます。高度成長期からバブル崩壊までは、人々は豊かな暮らしはモノを持つことだと信じ込まされて、多くのモノや車が置ける広い家を求めていましたし、地方から都会へ人口流入が続き住宅需要がひっ迫、供給が不足し続けるため不動産は上がり続けるという土地神話もありました。
だから今では信じられないような不便な山奥の土地をブルドーザーで切り開き、住宅を供給するとそれが飛ぶように売れました。「みんなが欲しいものが自分にとって本当に必要なモノなのか」という自己検証がされていれば、車の運転や歩くことがおっくうになる年齢になることを前提に選んだかもしれません。
高度経済成長期の戸建ブームが、2000年代に入ると都心回帰現象からタワマンブームが巻き起こります。タワマンは郊外の団地よりも深刻な問題を引き起こすとも言われています。それは修繕と空室リスクです。
タワマンに限らずマンションというものは、その性質上、住民という他人同士でマンションの土地や建物といった財産を共同管理する宿命を負います。そのため管理費や修繕費が適切に徴収、管理されていかないと管理不能な状態に陥るのです。
実際、地方に限らず首都圏でも空室が増えてしまい管理状況が悪化しているマンションが増えています。加えてタワマンというのは、その高さゆえに足場を組むことができないため、大きなクレーンが必要となったり、かなり特殊な修繕作業となるため修繕費が莫大にかかります。
もし仮に将来、子や孫の世代に相続放棄されて空室が大半になった時、適切な管理費や修繕積立金が確保できない状態になったタワマンというのは、一体どのような姿になるのでしょうか?「砂上の楼閣」私にはこの言葉が頭に浮かびました。
このように人気や流行で価格が高騰したとしても、それは真の資産価値とは言えないことが何となくイメージで来たでしょうか?それでは時代が変わってもあり続ける資産価値とは、一体どのような物件が持っているものなのでしょうか。それを検証してみたいと思います。
これはあくまでも私の考えですが、真の資産価値というのは、いつの時代も変わらない普遍的なものだと思います。つまり価格が変わっても変わらない価値ということです。価格というのは極めて相対的です。なぜならいくら値上がりしたとしてもそれ以上にインフレになれば実質価値は目減りしたことになるからです。
それに対して資産価値というのは、100年前も1000年前も、逆に100年後も1000年後も有する普遍的な価値だと私は定義します。「え?そんなものがあるの?」「どうやってそれを見極めるの?」という声が聞こえてきそうなので、そこを考えてみたいと思います。
人が住まいを選ぶ時、何を重視するのでしょうか?「仕事」「学校」「家庭」「趣味」「安全性」「快適性」「心地良さ」人それぞれの要素があると思います。さてこの中で、時間軸が長くなればなるほど変化するものは何でしょうか?
おそらく「仕事」です。約200年前の江戸時代と比べても、働き方は大きく変わっていますし、さらにはるか数万年前の狩猟採集生活とはまったく働く=糧を得る工程が異なります。思えば人類は発生から数百万年という長い間、獲物を追い求めて移住する生活をしていました。
それが今のように住所というものがあって定住するようになったのは、稲作が始まってからの約1万年程度です。そうやって考えてみると、時間軸の取り方で変わりますが常識というのは普遍的なものでは無く、移り変わるものなのですね。
コロナをきっかけに住まい選びの「常識」が大きく変わろうとしています。なぜならばテレワーク化に伴ってこれまで週5勤務だったのが週1~2、場合によっては月1~2回という勤務形態が増えてきているからです。
こうなると通勤のために駅近が人気だったわけですから、近年の傾向だった職住近接をするための「駅近」という概念が、ともすると過去のものになる可能性があります。もちろん、駅といっても様々ですから今後も住みたい人が多い駅もあるはずであることは言うまでもありません。
一方で首都圏の「駅近」のなかには、ただ通勤時間が短いからという理由だけで選ばれていたエリアが数多く存在します。「東京駅から〇分で駅から徒歩5分」というスペックだけの物件というのは、周辺環境が魅力的でないと今後は価格が下落する可能性があります。
ではどういったエリアが価格が維持または今後も上昇する資産価値を有し、逆に価格が下落してしまうのでしょうか?さまざまな考え方があると思いますが、私は「希少性」と「魅力=チャーミングさ」をキーワードとして挙げたいと思います。
より多くの人が住みたいと思うほど、価格は維持または上昇します。では通勤から解放された時、どのような場所に人は住みたいと思うのでしょうか?それを考えるうえで、私はいわゆる「観光地」にそのヒントがあるように思います。
みなさんはまとまった休みがあって、十分なお金があったらどこに行きたいですか?または滞在したいですか?こうした地域や建物のイメージが、人が普遍的に住みたいと思う場所=資産価値のある住まいのイメージと近いのではないかと考えます。
金曜日の夜、仕事を終えて土曜日は早朝からどこへ出かけましょう?そうやってお金と時間をかけても行きたい場所こそ、勤務先や通勤といった仕事のことを考えなければ、あなたが本来は住みたかったり滞在したかった場所なのではないでしょうか?
通勤に縛られていたから、平日は長時間の満員電車に揺られ、休日はこぞって遊びに出かけるから渋滞にはまって不毛な時間を浪費してきました。時間とは命そのものですから、限りある時間を有効に使うためにも「住みたい場所に住んで働く」というライフスタイルは幸せに生きるうえでとても重要です。
地名を聞いた時、なんとなくワクワクする場所ってありませんか?通勤から解放された時、人はほんとうに住みたい場所を選択できるようになります。時間=命そのものですから、長時間の満員電車通勤で疲弊した人生を過ごす無駄を省ける時代が来たことは、ほんとうに喜ばしいことだと思います。
3.安全性
そもそも住まいとは何のために存在するのでしょうか?もちろん、家の存在意義は人それぞれだと思いますが、自分や家族の大切な命や財産を守ってくれる存在として考えると、私はやっぱり「安全性」を最優先に求めたいです。
日本は世界トップレベルの災害リスクに晒されています。台風の通り道のため風や雨の災害リスクが高く、また梅雨や秋雨などの雨季には線状降水帯が形成され、未曽有の雨災害に見舞われることも年々、増えいています。
さらに環太平洋造山帯という地震の巣窟に位置するため、世界で起きた震度5以上の巨大地震のうち、なんと4分の1がこの小さな島国で発生しています。さらに首都圏は北米プレートや太平洋プレート、そしてフィリピンプレートが付近で重なり合うため、世界屈指の地震リスクに晒されています。
地震が起きると建物の倒壊だけでなく、日本は木造建築が主流のために火災リスクも大きいです。過去の大地震でもそのほとんどで火災が発生していますから、地震と火災はほぼセットで起きると考えておくのが賢明です。
そのうえ、富士山や箱根、そして浅間山などの活火山もあるので噴火による火砕流や火山灰のリスクもあります。火山灰は「たかが灰」ではなく、たとえると微細なガラス片が降ってくるようなものですから、ほんの数ミリ積もっただけで線路と車輪が滑り、鉄道など公共交通機関がストップすると言われています。
このように風害、水害、地震、火事、火山などなど、災害のオンパレードのようなエリアで、安易に住宅ローンという高額な借金をしてまで家を買うというのは、世界から見れば狂気の沙汰に見えているのかもしれません。ですので購入する場合は賃貸以上に相当、慎重な住まい選びをする必要があります。
ただ、一筋の光明はあります。というのもこれだけ災害大国でありながら、皇室は古くから続いていたり、江戸幕府も300年近く続きました。江戸時代だけ取っても、何度も地震や火事に見舞われているのに、徳川家が避難をしたり途絶えたことは無いんですね。
つまり世界的に見ると災害リスクが高い日本だからといって、ひとくくりですべて危険とは限らないということです。日本全体として比較的リスクが高い傾向はありますが、地形や地盤を丁寧に検証すれば安心して住める地域は間違いなく存在します。
これは「日本人は○○だ」とか「中国人は△△だ」と決めつけられず、全体として几帳面と言われる日本人の中にも大らかな人はいるというのと一緒です。言葉は便利ですが、断定的に「こうだ」と決めつけたり先入観を植え付けて、思考停止してしまうリスクがある点を意識して使う必要があります。
「マンションの方が売ったり貸したりしやすい」という人も意外と多いです。でも「なぜですか?」と聞くと「ここに書かれていたから」と見せてくれるサイトは大半、マンション仲介業者の作ったものだったりします。結局、何の検証もなされないまま、業者の言ったことの鵜呑みだったりするわけです。
不動産は立地が全てです。たいせつなのは「マンションだから○○」「戸建だから△△」といった典型的なイメージや先入観で思考停止してしまうのではなく、個別に一つ一つの物件を丁寧に見てあげることだと思います。だって私たちだって外国人から「あなたは日本人だから○○でしょ」と決めつられたくないですよね。