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住まい選びの総合医

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契約を最後にする

2015年5月29日

とある工務店と打合せをしました。ここはヒノキやクリ、スギなど自然素材をふんだんに使い、断熱効果が高く外気温に左右されず年中、20度台の過ごしやすい室温が保たれる健康住宅を建てている老舗です。

大工さんは外注や一時雇用でなく、全員お抱えの社員。同じく社員である一級建築士との息もばっちりです。まさに「同じ釜の飯を食う仲間」といった、和気あいあいな一体感があり、ありがちな「建築士が独り歩きして、現場がついてこない」はありません。

そしていちばん驚いたこと。それは「契約は最後」ということです。これは、多くのハウスメーカーや工務店は概算見積と参考プラン程度で契約を結ぶのが一般的な中では、極めて異例です。

ここではまず、打合せに入る前に一枚のシートをご家族に渡します。ご家族それぞれの理想の住まいを書き連ねて、すり合わせをすることから始まるそうです。ここにじっくり時間をかけることで、ご家族に一体感が生まれ、その後がスムーズに進むとのこと。

そして一級建築士のもと、ご家族の理想の住まいのイメージが図面となって形を現します。どこにどのような材を使い、どこまで仕上げにこだわるのか、家具は既製品なのか、オーダーメードなのか、事細かにヒアリングをしながら、丁寧にかかる費用を積み上げます。

ここまできても、まだ契約をしなくて大丈夫です。これは、クライアントさんにとって、ものすごく安心感があるのではないでしょうか。一方で、工務店側としても、やはり人同士、合う合わないがあるそうなので、この仕組みは都合が良いそうです。

建物本体価格、外構費、設備費、役所への申請等の諸費用などすべてを漏れなく含んだ見積と、詳細な設計図面が完成した段階で、はじめて契約締結となります。「はっきり言って、クライアントさんとの信頼関係があるから、できるんです。」と嬉しそうに語ります。

展示場などに出店している大手ハウスメーカーなども含めて、とかくテレビCMなどでもいかにも安くできそうと思わせて契約をして、その後で「あれは建物本体価格で、それだけでは家は建ちません」などと外構費や地盤改良費などを「後出し」する話を聞きます。

「時折、契約して建築がはじまって、基礎を打って上棟(柱を立てて、屋根を乗せる)した段階で『建築会社とのそりが合わないので工事が止まった。そちらで引き継いでもらえないか』なんて問い合わせがありますが、責任ある仕事ができないので請負えないです。」

言行一致の清々しい言葉と熱い眼差しに、私はまた一人、心から信頼のおけるコンシェルジュを発掘できたことに、無上の歓びを感じつつながら、夕日に染まる首都高を滑るように車を走らせました。

今の風景を古地図と重ね合わせる

2015年5月26日

古地図、というとどのくらい古い地図なんでしょうか。昭和の戦後間もない頃でしょうか。それとも、文明開化の明治維新の頃でしょうか。私は、そうした時代の地形を見る前に、はるか昔、約1万年前の縄文時代の地形図を見ることをお勧めしています。

それでは実際に、一万年前の首都圏を見てみましょう。

縄文海進

これが、現在の首都圏。

首都圏現在地図

比べると、昔は東京の東部~埼玉の奥の方、千葉県の海岸線は海だったんですね。あと、川崎市川崎区も海で、まさに「川の先=川崎」であったことが良くわかります。神奈川県では、横浜市の海岸線と藤沢~茅ケ崎~平塚あたりもすっぽり海でした。

もう一つ、縄文時代の海岸線を知る方法が「貝塚」です。こうしてみると、埼玉は相当、奥地まで貝塚があります。遠浅の海でとったシジミやアサリを、昔はここに捨てていました。

貝塚

東京東部をクローズアップした、縄文時代の古地図と、現在、東京都が発行している荒川水系が氾濫した場合の浸水想定ハザードマップを見比べてみます。

縄文海進 拡大

荒川水系ハザードマップ

驚くほど、海だったところと浸水するところがピッタリと重なります。「陸地に見える海」とも言えるこのエリアでの住まい選びは、これから地球温暖化によるゲリラ豪雨の頻発や海水面の上昇に伴う、さまざまな災害リスクを見据えて、慎重に判断をする必要があるのではないでしょうか。

→さらに詳しく知りたい方はこちら

無敵の経営

2015年5月25日

昨日は北鎌倉の禅居院というお寺に行ってきました。ここは一般公開されていないため写真も掲載できませんが、森に囲まれた静寂と、きれいな芝生の貼られた蓮池のある、素敵なお寺さんでした。

ここの本堂で北川八郎先生の講和と瞑想の会が行われました。名前は控えさせていただきますが、全国から優れた経営者の方々などを含めて、100名近い方が集まり、とても良い気が集まっていました。

北川先生は41歳の時に41日間、43歳の時に46日間の断食をされ「天の声」を聞かれたことがある方です。宇宙の時間軸からはほんの一瞬に過ぎない、刹那的な時間をこの世で生きるうえで、たいせつなことをご指南いただきました。

・放った矢は帰ってくる

・特に、人生前半(0~40歳)で放った矢は、人生の後半(41~)に帰ってくる

・だから、放つ矢は人を歓ばせるものが良い

私は、人と住まいのご縁を紡ぐ社団法人の活動を通じて、より多くの方と歓びを分かち合うことがやはり最大のMissionであることを再認識しました。そして、クライアントさんとガチで歓びあえるコンシェルジュ仲間ももっと増やして行きたいと感じます。

東海道53次 15日目(京都 三条大橋へ)

2015年5月24日

東京・日本橋から京都・三条大橋を目指した徒歩の旅も、いよいよ最終日を迎えました。琵琶湖畔の栗東から草津を通り大津を抜けて京都市山科まで来ると、嫌でもテンションが上がってきました。「いよいよ、京都だ。もう、歩かなくて良いんだ。」

路面電車と並走しながら、足取りがどんどん、軽くなるのがわかります。ペースが速くなってくると、相棒に「焦るな」となだめられながら、一定のペースに戻されるのです。思わぬ怪我やアクシデントは、平常心を欠くと起こることを知っていたのでしょう。

山科から三条通の坂を上りきると、京都盆地に入り、平らになりました。道幅も広くなり、華やかな都の雰囲気を肌で感じながらはやる気持ちを抑え、ゆっくりと一定の歩幅とペースを守りながら、眼前に迫るゴールを目指します。とうとう、三条大橋に着きました。

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「終わった。もう、歩かなくていい。これからは毎日、あったかい布団で寝られる。」

せっかくの京都ですから、さすがに今夜は良いホテルに泊まろう、ということで駅に向かって歩きながらホテルを探しました。すると「あいにく今夜は満室でございます。」と一軒一軒、入るたびに断られ続けました。

時は1993年3月20日の日曜日。まだ桜の季節でもありませんでした。「こんなに満室になるものなのかな」と思いながら相棒と我が身を見合うと、伸びきったひげ面とぼさぼさの髪の毛がもしかして・・・とも感じました。

断られ続けて気が付くと京都駅まで来ていました。日が暮れはじめていたので「新幹線で帰ろうか」ということになりました。切符を買って、出発時間までの小一時間、京都駅付近の居酒屋でささやかな祝杯を上げました。

新幹線は走り始めたばかりの「のぞみ」でした。東京まではたったの2時間30分です。車窓からの景色は速すぎて良くわかりませんでした。旅の道中の風景の記憶は、移動する速さに反比例することを体感した瞬間でした。

改めてこの旅を振り返ると、徒歩しか手段の無かった当時よりも電車や車などの交通手段があるので、途中でやめてしまう誘惑が多かった気がします。高速移動手段が発達した現代の、徒歩での長距離の旅ははたから見るとまるで意味は無いのかもしれません。

その後、相棒は大学院を出て研究職で世界を飛び回っています。ですのでほとんど、会う機会はありませんがたまに会うと、時の隔たりを感じさせない「気の置けない」いまでも唯一無二の親友なんです。(おわり)

東海道53次 10~14日目(豊橋宿~関宿)

2015年5月23日

豊橋から豊川、岡崎を抜けて知立へ。そして、12日目に宮(熱田)宿に着きました。熱田神宮の傍の公園にいつものように野宿の場所を探して寝ていると、深夜に物音がしました。「誰だ、おれのところで寝ているのは。」

その声で目が覚めて見上げると、どうやらここを常宿にしているおじさんでした。一言お詫びをして、事情を説明すると「そうか、それなら休んでいきな」と快く泊めて?いただきました。

13日目は熱田宿から四日市宿まで歩き、四日市中央公園で野宿しました。14日目は鈴鹿峠を抜け、亀山を通り関宿へ。ここは歴史的な街並みが残っていて、保存活動も盛んでした。NPOの方が街の説明をしてくださり、日本家屋で宿泊しました。

さあ、明日はいよいよ、旅の最終日、京都の三条大橋へ向かいます!

東海道53次 9日目(浜松宿~豊橋宿)

2015年5月22日

浜松に着いて、初日に見て以来久しぶりに拝んだお天道様は、とても神々しく感じました。通常一日40キロ程度歩くのですが、この日はウキウキして27キロほど歩いた浜松の駅前の民宿に泊まることにしました。

富士川以来、4日ぶりに屋根と壁と布団のあるところで寝られる幸せは、言葉ではうまく言い表せませんが、ほっとして、あったかくて、思わず顔が綻びます。お風呂も当然、4日ぶりですので湯船を汚さないように洗い場でごしごし、二度洗いしました。

翌朝、4時に目覚めて支度をして外に出ると、満天の星空が拡がっています。快晴です!歩き始めてほどなく、東の空が白んできました。久しぶりの朝日に、二人で興奮しました!初日の歩き始めのテンションが戻ってきました。

爽快な気分で歩いていくうちに、舞阪を過ぎて弁天島の浜名湖に架かる橋を渡ります。青い空に碧い湖は得も言われぬ絶景でした。その日は、そのまま順調に旅が続き、二川宿に着きました。

二川宿は旧東海道の宿場の中で、数少ない歴史的建造物が残存するエリアです。張り出した軒がピシッと揃い、整然とした景観を形成している様は、とても見応えがありました。街並みが調和した古き良き日本の宿場風景に、暫し見とれるほどでした。

この日は目標地点の豊橋まで順調に辿り着いたので、吉田城のある豊橋公園内の軒下でいつものように野宿をしました。

東海道53次 5日目~8日目(富士川~浜松宿)

2015年5月21日

「ザアー」

いつものように午前4時に起きると、本降りの雨でした。定食屋の方はまだ眠っているので、お礼の書置きをして起こさないようにそそくさと身支度をして、外に出ました。今日もまる一日、雨の中を歩くことになりそうです。

ほんとうは由比のあたりの旧東海道は、高台を歩くので絶景が味わえるのですが、大雨の中ではそれも望めません。ほんとうに残念でしたが、静岡県を歩いている間は浜松までずっと雨で、せっかくの景色を楽しめませんでした。

由比

50分歩いて、10分休憩するリズムに完全に慣れ、何の感情も無い歩行マシーンと化して毎日、道端のどぶ板の数を数えながら一日に約40キロの道程を歩きました。この日は国道1号線を海沿いに歩いて清水に入り、静岡の安倍川のほとりの軒下で野宿をしました。

翌日以降も藤枝~島田~掛川~袋井~磐田と野宿をしながら歩き続け、8日目の夕方、浜松に到着する頃、遂に雲の切れ間から待望のお日様が顔を出しました!

東海道53次 4日目(三島宿~富士川)

2015年5月20日

午前4時、起床。久しぶりの布団の上での目覚めは、格別でした。何しろ、暖かくて、体も痛くありません。離れがたい気持ちを抑えつつ、出発です。

外に出ると、今日も雨です。予報ではここ1週間はずっと雨ですので、静岡県を歩いている間に日の光を拝むことは無さそうです。富士山が見られないことが、すごく残念に感じました。

50分歩いて10分休む、60分のサイクルが一定のリズムを刻むようになりました。起きてから眠るまでの18時間にやることといえば、歩くことだけですので、雨だと景色を楽しむこともできず、ただただ、退屈でした。

修行―そう、もはやこれは旅では無いことを実感しました。決めた目標に向かって、何も考えずにとにかく、歩く。このことに何の意味があるのか。10代最後の節目の時期に、このことを経験していることは何らかの意図があったのでしょうか。

雨の中、うつむきながら歩いている50分間、考えていることはどぶ板を数えて、次の休憩に何をするかです。当時はキャスターマイルドという、タバコを吸っていたので、休憩のときの一服が何よりの楽しみでした。

沼津~原~富士と歩き続けると、大きな富士川が見えてきました。ここは江戸時代は船でしか渡れず、天気が悪いと対岸に渡れない難所でした。いまでは立派な橋が架かっていて、川幅が広いので渡りきるまでにたしか20分以上かかった記憶があります。

午後6時をまわり、暗くなったところで、富士川駅近くに定食屋の明かりが見えました。お腹も空いたので入って二人ともカツ丼を注文しました。温かな湯気とともに、ダシの香りが充満してたまらず一気に掻き込みました。胃袋へ一直線です。

食べ終わって安堵の中、お茶をいただいていると、気の良いお店のおばあちゃんがどこから来てどこへ行くのかと興味津々に聞いてきたので、東京から京都まで歩いていることを告げると、すごく驚いた様子でした。

「雨も酷いし、今日はここに泊まればいいらー」

定食屋

静岡弁が優しく響きます。この日は由比宿までもう少し、歩かなくてはなりませんでしたが、断る理由がありませんでした。私たちは明日、早起きしてその分を歩くことにして、明かりを落とした4畳半の座敷を借りて、その日は眠りました。

東海道53次 3日目(小田原宿~箱根越え~三島宿)

2015年5月19日

午前4時、起床。―今日、歩けるのだろうか―昨日痛めた足が気になります。

「あれっ」

立ちあがって2,3歩、足を進めると、昨日あんなに私を苦しめた足の裏を突き刺すような痛みがほとんど、ありませんでした。歩けるぞ!急激に意欲が湧き上がってきます。暗いうちから、颯爽と歩きはじめました。

「限界突破」という言葉がぴったりはまる気がするのですが、思うに人間の体や精神、能力といった類は自分の意識が「限界という枠」をはめているに過ぎないのではないでしょうか。この経験はまさに、そのことを体感させてくれた出来事でした。

小田原城の脇を抜け、箱根湯本のローソンでおにぎりを買って朝食をいただきました。食べ終わっていよいよ、天下の嶮の箱根越えの急峻な上り坂が始まります!ここで、旅の根幹を揺るがす大きな問題が噴出しました!

「お前が、持てよ」

「いや、お前だよ」

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初日の出発の地、日本橋で写真右の男から餞別にといただいたみかんが、ここに来て急遽、爆弾となりました。過酷な箱根の上り坂で、どちらが持つか、なんとも安っぽいいさかいが始まりました。

空虚に過ぎていく時間に、二人の若者の心に邪念が生じます。

「あ、あそこにローソンのゴミ箱が・・・」

ちょっぴり、良心が傷みながらも二人は足取りも軽く、意気揚々と歩き出しました。・・・とほぼ時を同じくして、ぽつり、ぽつりと雨が降り出しました。いそいそとザックからレインギア(雨合羽)を出して、雨仕様に身支度します。

箱根石畳

箱根旧街道の石畳は、独特の情緒を醸し出していました。濡れると石畳がつるつる滑るのには気を付けなくてはなりませんが、大きく枝葉を張った木々のおかげで、雨の日でもあまり濡れずに歩けます。

夕方頃に元箱根に着き、芦ノ湖畔の山道を抜けると、すっかり暗くなってしまいました。この日の目標地点は静岡県三島市ですので、まだまだ歩かなくてはなりません。幸い、この区間はほとんど国道1号線が並走しています。

箱根地図

夜の山道は危険と判断して、国道1号線を歩きました。ですが、ここは山ですので歩道が全くありません。懐中電灯で前と後ろを照らしながら、車道の脇を進みます。猛烈に飛ばすトラックがひっきりなしに横を通り過ぎる中を数時間歩き、やっと峠を下りました。

夜9時を回っていたでしょうか。三島の街に入る手前のビジネスホテルにチェックインして、旅を始めてからはじめて、温かい風呂に浸かり、屋根と壁に囲まれた風の吹かない空間で、暖かな布団で寝られる幸せを体いっぱい、感じながら眠りました。

東海道53次 2日目(戸塚宿~小田原宿)

2015年5月18日

・・・ブロン ブオッ ブオ ボロロロロ・・・・

午前2時、けたたましい爆音で目が覚めました。駐車場の明かりに吸い寄せられてきたのか、暴走族が集会を開いているようです。私は、見付からないように相棒と一緒に息を潜めました。

ダイエーの軒下のコンクリートの上に、じかに寝袋を引いて寝ていたので、体は痛くて冷え切っていました。加えて、得体のしれない連中の騒動が朝まで続き、あまり寝られませんでした。

午前5時。2日目は最悪の目覚めで迎えました。寝袋を畳んで、腰から頭の上まで届く、70cmの長さの山岳用ザックにしまい込んで、いそいそと身支度をして出発しました。星が出ていない、どうやら曇り空のようです。

午前8時におにぎりで朝食を取り、また歩き出します。藤沢宿を過ぎて、茅ヶ崎に入る頃に体にこれまで感じたことが無い異変が生じました。足の裏が、猛烈に痛みだしました。

地面に着地するたびに、足の裏からけたたましい悲鳴が聞こえてきます。例えるならば、針山を素足で歩くような感覚、でしょうか。痛くて、痛くて、これまでの速さで歩けなくなりました。遂には、杖を突いたおばあちゃんにも抜かれる始末です。

気が付くと歩き始めから11時間、16時を回ってもまだ茅ヶ崎の街を、突き刺すような痛みとともに亀のようなスピードで進んでいました。今日のノルマにも全然、距離が届いていません。もう、駄目か・・・そんな声が、心の中から聞こえてきました。

「〇〇(相棒)、俺、ものすごく足が痛くてまともに歩けない。これじゃ、予定通り進まずにお前にも迷惑をかけるから、鍛え直して再チャレンジするよ」と言うと、相棒は予期せぬ言葉を言い残して、また歩きはじめました。

「そうか、やるかやらないか、山田の自由にすればいいけど今、できない人間の言葉を俺はまったく信用しない。だから再チャレンジなんて、無いだろう」

私は、真剣な眼差しを向ける20歳そこそこの相棒をまじまじと見つめ返しました。入学から2年間、いちばん呑み遊んだのは彼で、ギャグを言ったり、面白い奴という印象しかなかった、あいつがまさか、こんなにもまともで、芯のある言葉を放つと思いませんでした。

私は「ガン」と頭を殴られたような気がしました。自分の弱さをオブラートにくるんで、さも相棒に迷惑を掛けないように気遣うようなふりをした、卑怯な言葉を吐いたことに気付かされたのです。

私は、再び歩きはじめ、彼の後姿を追いかけました。スピードは変わらず、休み休みでしたが余計なことを考えずとにかく、前に進むことだけに集中しました。

すっかり暗くなった大磯、二宮の街を抜けて、酒匂川のほとりに着いたときは、夜の10時を回っていました。我々はほどなく、野宿に適した軒下を見つけて、倒れ込むようにその日は眠りにつきました。

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