角砂糖14個を食す
2015年5月4日
昨日の続きで炭水化物について、もう少し書きます。米、パン、パスタ、うどんなどの炭水化物は、体内で糖質に変わります。つまり「オブラートに包まれた砂糖」と言えるのではないでしょうか。Sugar Stacksという、食品に含まれる糖分を角砂糖(一個4g)に換算した面白いサイトがあります。
・6枚切り食パン一枚=角砂糖8個
・白米飯一膳=角砂糖14個
・素うどん一玉=角砂糖14個
これ、すごくないですか?私はこの数字を見て、驚きました。角砂糖って、コーヒーとかに入れて飲むものですが、そのままなめるとものすごく甘いです。それが、炭水化物に変わると、まるでオブラードに包んだように、食べやすくなるんですね。
これを見ると、炭水化物を主食とした食後に、血糖値が上昇するのもわかります。糖尿病の人は、炭水化物自体、食べてはいけないのではないでしょうか。そんな疑問が、角砂糖に置き換えると自然と湧きます。
面白い例として、アルコール中毒の患者の治療は断酒が基本で、「一日**杯はOK」といった適度なアルコール摂取など絶対に推奨しないのに、糖尿病学会は糖質中毒患者である糖尿病患者に、「白米は**杯程度」など適度な糖質摂取を治療指針に定めています。完治しない理由は、まさにここにあるのではないでしょうか。
住まい選びの専門家である私が、なぜ食のことをブログで書いているのでしょうか。それは住まいと言うのは、ご家族の生命と財産を守るものですので、生活面のあらゆる情報と知識を得ることがたいせつだと感じているからです。たとえば住宅ローン借入時にクライアントさんが団体信用生命保険に加入できるよう、健康に関する知識も当然、必要になります。
そして、こうした知識は「利権が絡む団体からの情報発信ではなかなか得られない」ことも、お伝えしたかったことです。先述した糖尿病学会のホームページには、製薬会社の広告が掲示されています。だから完治させる治療は推奨しないのではないでしょうか。
「安心感にこだわった住まい選び」には、住まいという生命と財産を守る最たるものを選択することですので、常識の枠にとらわれず、さまざまな情報を得たうえで、最適な判断をしていく必要があるのではないでしょうか。
私は、人生でいちばん大きなお買い物の不動産購入に際して、周辺環境、雰囲気、治安、子育て、教育、福祉、地盤、災害リスクなどの気付きにくいですが、たいせつな情報を可能な限り入手して、わかりやすくお伝えして行きたいと強く感じています。
惰性と思い込み
2015年5月3日
主食というと、何を思い浮かべますか?私は、「ごはん」と言うくらいですから、まずはお米です。それとパンでしょうか。あとはパスタやうどんなんかも入ってきます。いわゆる「炭水化物」が主食のイメージです。
それが最近、知ったのですがこの炭水化物=主食という認識が、日本以外の国には、あまり無いそうです。また、豊かな国ほど、炭水化物の摂取量は低下傾向にあるという話も聞いて、目から鱗でした。
炭水化物に関しては、諸説あるので何が正しいかには委細、触れませんが、私が衝撃を受けたことは「炭水化物は主食」という固定観念が自分の中で出来上がっていて、それが数十年、続いていた、ということです。
ですので、私はサラダやお肉は食べなかったとしても、パンやおにぎり、パスタなど食事の際、いかなる時も炭水化物は欠かしませんでした。何も考えずに食べていた、と言っても言い過ぎでは無いかもしれません。
「では、炭水化物を食べなかったら、どうなるのだろう」素朴な疑問が湧き、最近試したのはお昼にご飯やパンを食べず、野菜を食べて過ごしてみました。もともと、私は仕事モードだと昼食抜きになることはよくあったので、それほど抵抗はありません。
結果、食べても眠くなりませんでした。私は、お昼を食べると必ずと言って良いほど眠くなっていたので正直、驚きました。また、夜も炭水化物を食べないようにしたところ、翌朝の寝起きがすごく良いことに気が付きました。
このようなことは、個人差があることですので私はお勧めをするという気持ちは毛頭、ありません。今回、書きたかったのは「常識に囚われずに、自分の頭で考える」ことを実践していたつもりが、思考停止していた自分に驚いた!ということです。
日本の常識は、世界の非常識。その逆も真。グローバル時代を生きるうえで、本を読み、対話をしてさまざまな意見、考え方を吸収して咀嚼して、やってみた結果を検証する、という作業がますます大切になっていることを体感しました。
観光地に住む
2015年5月2日
ゴールデンウイークに入りましたね。気が付けばここ横浜・湘南エリアは他県ナンバーが増えました。大阪、三河、石川など、感覚ですが、走っている車の全体の8割程度が、他県ナンバーでしょうか。
他県からわざわざ、交通費と宿泊費を掛けてくるエリアに住んでいること。みなとみらいなどの街、大仏やお寺などがある古都鎌倉、江ノ島や相模湾のある湘南など、日常の生活圏内に魅力的な場所が散りばめられています。
日常が観光地。これって、すごい価値ではないでしょうか。こういった魅力が、このエリアの不動産の資産としての価値を維持する要因でもあります。極上の自然と先人の方々が築き上げてきた歴史と文化という、地域の誇りを次世代に継承していかれる歓びは、無上のものです。
観光としてだけではなく「住みたい街ランキング」で常に上位のこのエリア。日本各地の人たちを惹きつける、魅力のある場所の不動産を所有することは、たいせつな資産を次世代にしっかりと維持できる証ですので、富裕層も住みたがる所以でもあるのでしょう。
永遠の命
2015年5月1日
私は銀河鉄道999が好きです。現在41歳の私が、人生で初めて観たのは、5歳の頃におばさんに連れてってもらった「銀河鉄道999」でした。
ゴダイゴの軽快な音楽と深い哲学。機械伯爵に母親を殺された主人公・星野鉄郎は、永遠の命を手に入れるべく、案内人「メーテル」とともに999で銀河の旅を続けます。
旅の最中で出会った宇宙海賊のキャプテンハーロックとやり取りをする中で「永遠の命と言うのは、親から子へ、そして孫へと受け継がれていくもの」ということを気付かされます。
個体としての永遠の命を手に入れようとした機械人間の最大の失敗は、命に対する謙虚さを失ったことだったのです。5歳の私は、このことにものすごい衝撃を受けました。
私は、この「永遠の命」のくだりがとても好きで、大人になった今でも、時折思い出して大切にしています。自分の命だけでなく、家族の命、そして周りの方々の命のたいせつさを、ほんとうの意味で実感できるようになるからです。
自分が今、この世に生を受けているのは、両親、祖父母と繋がる永遠の命を継承してきたからで、この「あたりまえ」の恩恵に感謝しつつ、しっかりと自らの生を全うしつつ、子や孫の世代へバトンを渡していかれることに、無上の歓びと、幸せを感じます。
人と同じ行動をしない
2015年4月30日
私は、混んだ場所が苦手ということもあるのですが、常に「人と同じ行動をしない」ように考えています。こう言うと、なんだか協調性が無いわがままな人間と誤解されそうですが、意味はまったく異なります。
10年ほど前、私は東京の資産運用会社まで約1時間、電車で通勤していました。その時も毎朝4時台の始発に乗って、6時過ぎにはオフィスに着いていました。「慌てるとツキが逃げるよ」という亡くなったおばあちゃんの言葉もすごく印象に残っています。
この「超時差出勤」はさまざまなメリットがあります。まず、電車は確実に座れるので、ノートパソコンを持ち出して通勤時間をまるまる仕事に使えます。また、オフィスのある千代田区は昼間の人口は120万人ですが、夜は4万人になります。
これはつまり、早朝は昼間の30倍も空間を広く使える=価値が上がる、ということです。通勤の道のりで人とすれ違うことも無く、混雑した空間を移動するストレスを感じないことで、気持ち良く一日のスタートを切れるのです。
ほんの少し、人と時間をずらすだけで、ただで自分がいる空間の価値を高められる。命=時間ですので、身動きが取れないような不自由な時間は極力、減らしたいと感じています。
これは、日々の時間の使い方を人と同じくしないことの一例ですが、今度はお金の使い方にも触れます。90年代初頭に70万円だったもので、今現在は5万でも売れるかどうか、というものがあります。一体、何でしょうか。
そうです。これは日本のとある県の土地の値段です。今では信じられない話ですが、高度成長期からバブル経済がはじけるまでの数十年の間、日本の土地は右肩上がりで価格が上昇を続けており「土地神話」と言われていました。
神話なだけに、実体が伴わずバブル崩壊後に土地は大きく値を下げたのですが、損をした人と言うのは、まさに「人と同じ」ように不動産を買った人たちです。不思議なのは「おかしい」という感覚が無かったのか、ということです。
現在、5万円で売れるかどうか、ということは実は70万円の値を付けたときも「ほんとうの価値」は5万円だったのではないでしょうか。どのくらいの人が、いくらくらいなら買っても良いと思えるのかという「実需」を見極められれば良いのと、買った後でいくら値が下がっても、自分の中での価値は一向に変わらない。つまり「好き」かどうかが大切です。
結局、世の中の多くの人の判断を狂わせたのは「土地の値段は下がらない」という妄想=認知の歪みです。こうしたことは、あれから20年以上経過した今でも根強く残っています。
・倒産しないから公務員は食いっぱぐれない。(江戸の武士の末路ってどうでしたっけ?)
・消費税が上がる前が、買い時。(買い時って、いったいなんでしょうか?)
・家を探すとき、ネットで検索する(ネットで出ている情報を信じて大丈夫ですか?)
・小さな子供に英会話や受験をさせる(その子がほんとうに、それを望んでいますか?)
・・・と世間一般で言われていることで、根拠を明示できるものというのは、実はかなり少ないのではないでしょうか。こうして考えていくと実は、常識というのは「世の中の多くの人の思い込みであり、妄想」であることがわかります。
人と同じ行動をしない、ということは「物事の本質を見極めて、考えて行動する」ということなのだと思います。そうした一本、芯の通った行動が取れるように、たくさんの本を読んだり、人と意見交換をする謙虚さと自己研鑽がたいせつなのだと感じています。
実るほど、頭を垂れる稲穂かな
2015年4月29日
昨夜は神奈川県の経営者の集まりに参加しました。集まった方々は、製造、翻訳、サービス、スポーツなど様々な業界で活躍されている方々ですが、共通していたことがあります。それは「真摯かつ謙虚」ということです。
組織のトップにいらっしゃる、世間的に立派な肩書きの私より年齢が上の方ばかりでしたが、みなさん揃って、若輩者の私の経営課題などの話を真剣に聞いてくださり、対等な立場でご自身の体験談なども交えて、わかりやすく助言をしていただけたのです!
また、私の「安心感にこだわった住まい選びのお手伝い」事業にも興味を持っていただき、
「自分も何十年も前に家を買ったけど、買った瞬間に自分のものになった気がしていた。買った時ではなく、住宅ローンを払い終わった時が、ほんとうに自分のものになるという言葉を聞いて、驚いた」
「若いころに勢いで買っちゃたけど、こういうサービスがあれば良かった」といったご感想をいただき、私は、「住まい選びは、ご縁でもあるので、人と人とのご縁である結婚と同じで、タイミングや勢いもすごく大切です。」とお話ししました。
また、「あばたもえくぼ、と思えるような惚れるという気持ちも大事です。買った後に後悔していただきたくないので、家を買う買わないの判断をするときに、私はそのあばたのところをしっかりお伝えしていきたいのです」などと先輩に対して生意気なことを言ったにもかかわらず、真剣な眼差しで相槌を打ってくださいました。
私はこのことにすごく驚き、感動しました!すごい人ほど、ものすごく謙虚。これまで感じてきたことがここでまた、立証されました。組織経営が順調な会社ほど、トップの方が謙虚に若い現場の日との意見に耳を傾け、話し合いの場を創りだす努力をしていました。
「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」
しかるべき年齢を迎えたときに私もしっかり、頭が垂れているように、志を同じくする仲間たちとの自己研鑽の日々がこれからずうっと続くのかと思うと、とてもワクワクしました♪
少年の瞳
2015年4月28日
昨日は私が信頼しているパートナーFPと、軽く1,2杯ワインを飲みながら打合せをしました。話のメインは、住まいを購入したクライアントさんのライフプランについてです。
「家を買った後から、ほんとうのFPがはじまるんですよね」と顔を綻ばす、彼。私は真の資金計画のプロの眼差しを見て、彼に私のたいせつなクライアントさんを任せていて、ほんとうに良かったと感じました。
とかく、一般的なFPは家を買うまでは一所懸命ですが、これでは不完全です。なぜならば住宅ローンを組んだ場合、返済がすべて終わる数十年後、はじめて家の値段が確定するからです。
「物件をいくらで買ったかは、ローンをすべて返し終わってから、決まるんです」彼がこう言うと、「えっ」と驚くクライアントさんもいます。きっと今まで会ったFPは不動産業者が、物件を買わせるために雇っていたので「買わせるトーク」をされてきたのでしょう。
ですからこれだけ、長期で考えて真摯に向き合おうとする「真のプロ」におそらく、今まで出会ったことが無く驚いたのかもしれません。青臭い話のようでいて、こういう「ほんもの」は本当に世の中に存在するのです。
プロフェッショナルは、いつの時代もクライアントさんの幸せを願い、それを実現するために常に自己研鑽を怠りません。そんな彼らはいつ会っても爽やかな笑顔で、眼差しに一点の曇りもありません。そう、一言でいうと「少年」のように澄んでいます。
一日中、野山を駆け回って汗だくになったランニングシャツ。夕焼け空に一心不乱に赤とんぼを追いかけていた頃と同じ、彼らは常に「本気」です。大人になった今は、仕事が遊びになり四六時中「どうしたらクライアントさんに歓びを分かち合えるか」に挑戦し続けています。
数十年後のクライアントさんの笑顔にコミットする仕事は、人生を賭けて挑戦するうえで武者震いをするほどに清々しく、爽やかな気持ちになります。だから私の周りに集まる仲間たちはみな、少年のようにキラキラと目が輝いているのだと、改めて感じました。
公園は地域の鏡
2015年4月27日
住まい選びのとき「この地域はどんな雰囲気だろう。治安は大丈夫かな」というお声を聞くことがよくあります。お隣さんがどんな人かまでは、具体的に物件を選ぶようになるまでわかりませんが、地域の大まかな様子は「ある方法」でおおむね、把握できます。
そう、タイトルの通り、その地域の「公園を見る」のです。
大きい公園よりもブランコとすべり台があるくらいの、小さな公園の方がより良いでしょう。まず、公園に行ってみてください。足を踏み入れたときに、どんな感じがしますか?
「ほっとする」「なんとなく、落ち着かない」「楽しい」
ご自身にどんな感情が湧いてきましたか。直感と第一印象がたいせつですので、じっくり感じてみましょう。
あと、お子様連れで住まい選びをしている方はぜひ、お子さんと気になっているエリアの公園で遊んでみてください。できればいくつか、エリア内の公園をハシゴすると良いと思います。
お子さんの表情は、いかがですか?
さらに、横浜にお住まいの方はご存知かと思いますが、山下公園や根岸森林公園などの大きな公園を除いて、横浜市の公園はその地域の方のボランティアにより、清掃や管理がされています。そうです、まさに「地域の庭」なんです。
ですので園内をよく見回してみてください。ごみが散乱したりしていないでしょうか。熱心なサポーターの方がお住まいの地域だと、なんと草刈りや剪定まで、住民の方でやっているところもあります。花壇があって、好きな花を植えているところもありますよ(^^)
地域の庭である公園が愛されていれば、その地域全体も比較的穏やかで、明るい雰囲気のところが多いです。一方で、ゴミが散乱していたり、枝や草が伸び放題でなんとなく暗く「どんより」した雰囲気が漂っていれば、それもやはり、その地域の雰囲気を象徴しているのではないでしょうか。
私が横浜市役所で公園を創っていた時に感じていたことですが、公園という都市インフラは道路や橋と違って、工事完了が完成ではないんです。その後、地域の方にどのように利用されるかで、その地域の公園がつくられていき、完成することはありません。
自分が住んでいる地域を、どうしたいのか・・・住んでいる方々の思いが、日々のその地域の公園の姿をつくっています。
公園を見れば、その地域がわかる・・・お住まいの近くの公園は、どんな姿ですか?
※「公園愛護会」という地域ボランティアによる公園を見守る制度は、横浜市独自の組織です。横浜は全国的に見ても、地域活動が活発で自発的で意欲的な方が多いので、このような制度が充実していますが、他の市町村ではそれぞれの制度を調べる必要があります。
トイレを磨いて、感性を磨く
2015年4月26日
おはようございます。今朝も横浜は良く晴れました。
ここのところぽかぽか陽気が続いて、そぞろ歩きが気持ち良いですね。
そういえば先日のブログで、毎日を清々しく過ごすための「朝の3つの習慣」を書きましたが、ひとつおまけがありました。実は、トイレ掃除もたいせつな毎朝の日課なんです。
これは、鎌倉の資産運用会社で働いていた時に、代表が毎朝、会社のトイレを手袋をはめずに素手で磨いていたことで刺激されて習慣化しています。ですので私も、素手で磨いているんです。
もう6年ほど前になりますでしょうか。当時は「社員やお客様のために、綺麗にしてくれているのだな」と思っていましたが、自分でやってみて、そして当時の代表の年齢に近づいてみると「トイレ磨きは、心磨き」であることに気が付きました。
トイレ掃除は、その日の自分のコンディションを知る良い機会です。掃除全般に言えることかも知れませんが、ちゃんとやるには「気付き」が必要だからです。
瀟洒なお店でおいしいものを食べてごきげんだったのに、入ったトレイが臭くて幻滅した・・・なんて経験はありませんか。トイレ掃除をしているとこの点、すごく敏感に感じるようになるのですが、おそらく目につきにくい箇所が磨けていないんだと思います。
住まい選びの際にも、地域の雰囲気や治安、災害リスクなどの一見してわかりにくい情報ほど、たいせつだと感じます。
この仕事に携わらせていただくうえで、見えないものや見えにくいことに気付く感性を磨くことを、日々怠らないようにしていきたいと思います。
この一所懸命さは、誰のため?
2015年4月25日
「メールを送ると、即座に返信が来る」
「わからないことを問い合わせると、迅速に応えてくれる」
こうした声をクライアントさんからいただきます。私は、対応が速いことは価値であり、歓ばれることだという自負もあるので、こうしたご感想をいただけるととても嬉しいです。
ですが最近、とても考えさせられることがありました。メールをやり取りしていて、確かにレスポンスは早いのですが、なんとなく返信を開くときに気が重い相手がいました。そう、一言でいうと「ワクワク」しないのです。
「返信も早いし、誠実さは感じるのに、どうして自分はこんな気持ちになるのだろう」と長い間不思議に感じていました。「馬が合わないのかな」などとも考えたことがありましたが、最近、ようやく自分の気持ちで気が付いたことがあります。
レスポンスの早さが、誰のためなのか?・・・そうです、一生懸命さの向いているベクトルが違ったのです。
少しでも早く、クライアントさんに安心していただきたい
早く一緒に、ワクワクしたい
一分一秒でも早く、クライアントさんに歓んでいただきたい
私は、こうした思いに突き動かされるように、無意識に素早くレスポンスをしていたことに気が付きました。おそらく、メールの文面も届いたクライアントさんが読むと、自然と顔が綻ぶ内容だったり、文章表現だったりしているのだと思います。
一方で、自分が受け取ってワクワクしないメールを読み返してみると、内容が言い訳だったり自己を肯定するだけだったり、文章表現がぶっきらぼうだったり、言葉に「愛」を感じませんでした。
一言でいうと「独り善がりなビジネスライク」だったのです。私は、この相手の方と歓びを分かち合うイメージが湧かなったのです。だから、受け取った時に「ワクワク」しなかったんですね。
この方とのメールのやり取りは、私にとても大きく、たいせつなことを気付かせてくれました。
「この一所懸命さは、誰のため?」
そう、この言葉を常に自問自答して、日々をより多くの方々とワクワクして過ごしていきたいと思います。